2025/5/25
第40代内閣総理大臣、東條英機のひ孫の東條英利さんをお誘いし、多摩霊園で行われた、ラス・ビハリ・ボースの生誕祭慰霊祭(Comemorating the Legacy of Rash Behari Bose: A Tribute on His Birth Anniversary)に参加しました。
当協会のインターン大学生も参加しました。
その後は当協会と商工会議所主催にて、靖国神社に参拝しました。
”インドのラダ・ビノード・パール博士は、昭和21年の極東国際軍事裁判、いわゆる東京裁判で唯一の国際法を専門とする裁判官として本裁判の違法性を指摘し、被告全員の無罪を主張しました。博士の勇気と情熱を称え、平成17年に博士を顕彰する崇敬者の方々によって建立されました。”パール博士顕彰碑 | 内苑のご案内 | 靖國神社 境内案内より抜粋
【コラム】インドの2人のボース
なぜ2人のボース?
インド独立を目指した2人のボース。
インド仮政府軍を結成したのは、総督『ラス・ビハリ・ボース』
1943年まではボースといえば、ラス・ビハリ・ボースでしたが、病気を患い、その後、自身の地位を『スバス・チャンドラ・ボース』に譲ります。
2代目総督のスバス・チャンドラ・ボースは、態度や性格がドイツのヒトラーに似ていたため、ドイツのボースと呼ばれていました。日本軍からはヒトラーの称号「ハー」と呼ばれてました。
スバス・チャンドラ・ボースは、ドイツ女性と結婚しドイツ人の子孫を残してます。
初代総督のラス・ビハリ・ボースは、日本女性と結婚し日本人の子孫を残しました。
この日本人女性が、あのカレーの新宿中村屋の相馬夫妻の長女、俊子さん。
こちらに詳しく記載されています
ラス・ビハリ・ボースは、1886(明治19)年インド ベンガル地方に生まれる。政府新聞の書記の父 ビノド・ビハリと、母 ブボネンショリの長男として生まれる。
ラス・ビハリ・ボースは、1945(昭和20)年1月21日、インドの独立を見ることなく逝去し、ボースと俊子の長男 正秀も日本陸軍戦車隊の一員として沖縄戦を戦いこの年6月に戦死します。
また、チャンドラ・ボースも同年8月19日、台湾上空で航空機事故に遭い、共にインド独立を見ることなく亡くなります。
2人のボースが一生を捧げたインドの独立は2年後の1947(昭和22)年、インド国民の蜂起により果たされました。
2025/5/24
インドから超党派の国会議員団9名が来日されました。
先のカシミール地区でのテロ事案やその後のパキスタンとのやり取りについての会議が開催されました。
テロ行為を断固非難するとともに、対話による南アジアの平和と安定の重要性について語られました。
来日中のラス・ビハリ・ボース財団の理事長とその関係者の皆様、ラス・ビハリ・ボースの高校(今は女子校。学長はキリスト教のシスター。在日シビ大使閣下もキリスト教。)の生徒たちと学長、先生方、商工会の皆様と一緒に参加しました。
2024/9/--
インドと沖縄とのシンポジウムが開催されました。
当協会からは、インターン大学生の2人も参加しました。駐日インドシビ大使と沖縄の玉城デニー知事にご挨拶しました。
前日は、インドと親しくしているネパール大使館のナショナルディパーティーにもご招待頂き、この日もシビ大使とご一緒しました。
当協会からはお祝いのお花も出させて頂き、ネパール大使ご夫妻と素晴らしい時間をご一緒しました。
今年4月には、大阪で開催されたインドフェスティバルとネパールフェスティバルにもご招待頂きました。
2024/7/6
チベットハウスよりご招待頂き、ダライ・ラマ法王、7月6日、89歳の誕生祝賀パーティーに参加しました。
お写真は、アリヤ・ツェワン・ギャルポ氏と。(ダライ・ラマ法王日本代表部事務所とチべットハウスジャパン新代表に就任)
こちの祝賀パーティー以外にも、国会議員会館で開催されたチベットの会議にもご招待頂き参加致しました。
2023/04/28
Think G7 T7 シンポジウムでは、資源(鉱物資源、水資源、森林資源、海洋資源、食料資源など))問題、そして地球環境、経済、安全保障、最先端科学技術など、多面的な議論が行われました。
日本からは山田賢治外務副大臣、国連UNからも多くの方が参加しています。
国連事務次長であり国際連合大学の学長に就任もされておられる、南アフリカのチリツィ・マルワラ(Tshilidzi Marwala)氏は国連事務次長のお立場として、国際連合安全保障理事会(安全保障理事会・国連安保理・安保理)について「現在の安保理常任理事国は、中国・フランス・ロシア・イギリス・アメリカの5ヶ国ですが、これは改革すべき、つまり常任理事国を増やすべきだ」と仰っておられました。
昨年もこの件は国連にて議論されました。
今年はインドでG20が開催されることもあり、インドからはインド大使館シビ・ジョージ大使閣下、チノイ前大使閣下、多くのインドの識者の方々も参加され、他にもアメリカ大使館やロシア大使館など、多くの国の方々も参加されたシンポジウムでした。